英語に興味を持ったのは、「日本とは違う世界がある。」
そしてその世界を知りたいと単純に思ったからです。
学校の勉強の延長をしたくなかったのも
教科書にあるような会話がしたかったわけではなく、
何かおもしろい事があるかもしれないと
勝手に妄想していました。
会話をするので当然、相手がいることになります。
相手には、自分の思ったことを伝えたり、質問したりします。
そして相手からも自分に対して同じようにしてきます。
相手に理解してもらおうと、言葉だけでなく、
身振り手振りを加えたりすることもあります。
イギリスでボランティアとして働き始めた最初の頃、
まだわからないことが多い私にも
できるだけ簡単な英語で一生懸命話してくれる人がいた一方、
「どうせわからないんだったら言っても無駄でしょ」
みたいな人もいました。
会話はどちらにもメリットがないと成立しないのだと
実感しました。
そして、当たり前の事ですが、内容を理解していないと
こちらも会話は成立しないのです。
というのも、下記のような経験をしました。
施設で働く人の友人に、日本製の編み機を買ったけど
説明書が日本語でわからないから訳してほしいと言われました。
日本語の説明書を渡されて、もちろん読むことは読めますが
内容はさっぱりわかりません。
裏あみがどうとか、表あみがどうとか
書いてあることは全部日本語ですが
編み物のことが全く理解できていないので
何も伝えることができませんでした。
日本人だから日本語ができるといっても
結局、内容を理解していないことは
伝えることはできないことを思い知らされました。
こんなこともありました。
私はロンドン市内で日本企業に働いていたことがあります。
会社は北海油田を掘るパイプに関わっていました。
日本から技術専門の駐在員が来た時の事です。
その人は最初に赴任されたとき、
英会話はほとんどできませんでした。
専門技術に関する英語は理解できても
会話となるとかなり苦戦していました。
彼の持っている専門知識を知りたい
外人の方が必死でした。
彼がわかるようにゆっくり話したり、
冗談を言ったりして、楽しい雰囲気にしていました。
彼の知識からとても有意義な情報が
得られるのがわかっていたので
忍耐強く会話を続けていました。
そのうち会話も自然にできるようになり
仕事もスムーズにいくようになりました。
結局、コミュニケーションとは相手を理解しようと
努力を続けることだと思いました。
この人と話をしても面白くないとか、
退屈だと思われないためにも
コミュニケーションを取りたくなるような魅力のある人間を
目指すべきだと思いました。
それは単に楽しいおしゃべりというのではなく、
真実がある言葉のような気がします。
日本語だけを使っていた時に比べると
相手のこと、伝えようとしていることなどを
もっと意識して考えるようになりました。
イギリス人と話をすると、
日本についていろいろと聞かれることが多くあります。
「ああ、もっと勉強しておくべきだった。」と思うことが多々あり、
自分の国の事をあまりにも知らなさ過ぎたと反省でした。
もっと日本のことを勉強しなければいけないと
何度も痛感させられました。
あやふやな情報を伝えては
相手に対しても失礼になってしまいます。
イギリスに行ってからの方が
日本の良さももっとわかるようになった気がします。