会社勤めをしたのは、ロンドンと東京でした。
もともと、会社勤めをすることを目標にしていたわけではないので、
お金を稼ぐ手段と割り切っていました。
最初の事務職は、ロンドンの日本企業でした。
障害児施設で介護の仕事をしていましたが、
イギリス人のパートナーが、仕事を辞めてしまったので、
もっとお金がもらえる仕事を探しました。
その当時、一番稼げるのは、英語と日本語を使って、
ロンドンのシティ(金融街)で働くことでした。
幸い、その時期は労働許可証を持っていれば
すぐにでも働いてほしいという日本企業が多くあり、
日本のジョブエージェントに申し込むと、
全く未経験でも、すぐに仕事が決まりました。
イギリス人の中だけでしか働いていなかったので、
少しでも日本人がいる環境で働くのは新鮮でした。
イギリス、特にロンドンは、イギリス人だけでなく、
世界中のいろんな国から来た人が働いていました。
多国籍な人種がいる環境で、働くことができたのは、
とても幸運だったと思います。
自分の性格分析をすると、
人に流されることはないけれど、
強く前に出たいタイプではありません。
でも、外国人と一緒に働くには、
自分の言いたいことは
はっきり伝えないとわかってくれません。
ずるいことを平気でやる人もいました。
自分を守るためにも、言わなければいけないことは、
はっきりと言うようになりました。
転職する人たちも多く見てきました。
同じ仕事をしていて数年経っていれば、
経験を積んだことで、より多く給料をもらうことは当然だし、
もし会社が認めなければ、
別の会社で雇ってくれるところを探すのは、
イギリス人の中では、普通の事でした。
ずっと同じところで働くことが当たり前の日本とは、
ずいぶん違うのだと感じました。
東京では外資系企業で働きました。
東京と地方では、外資系企業の募集数が全然違います。
正直、東京の人混みは好きではありませんでしたが、
東京で仕事を見つけて、働くことになりました。
外資系だからなのかもしれませんが、
一人で任される仕事が多く、
プレッシャーを感じることもありました。
上司は、いるにはいるのですが、
同じ仕事をしているわけではないので、
具体的な相談はできませんでした。
一人でやっていると、プレッシャーに押しつぶされて、
逃げ出したくなるようなこともありました。
そういう時には、「この仕事を一番わかっているのは自分だから、
誰も私より上手くできる人はいない。」
と、自分に言い聞かせていました。
それと、仕事ができなかったとしても、
そうとわかって雇った側の責任だからと、
開き直りの気持ちになっていました。
介護の仕事を経験したことも
気持ちの面で助けになったと思います。
介護の仕事では、ちょっとのミスで
命にかかわることがありました。
事務職なら、誰も死ぬようなことにはならないと思うと、
気分的に楽になりました。
会社勤めは、毎月必ず給与は出るし、
金額もそれなりの給与をもらっていると、
それに甘んじてしまいます。
会社に勤めていても、定年があり、
定年後の人生を考えると、不安はありました。
一度リストラにあい、フランチャイズのエステサロンをやったのですが、
上手くいかなくて、大変だったことがあったので、
そのあとに入った会社を辞めるという勇気はありませんでした。
それでも定年が近くなるにつれ、
定年後の人生をもっと真剣に考えるようになりました。
年金や貯金などだけを頼りに生きて行けば、
政府の政策や金利に左右される生き方になります。
「細々と生きていく老後にはしたくない。」
「生涯現役」
受け身ではない生き方をしていきたいと思うようになりました。
定年前に会社を辞めてから数年経ちました。
私の父は、個人で仕事をしていました。
若い頃は会社勤めをしていましたが、
技術職で独立して、一人でやっていました。
昔は、父をあまり尊敬はしていませんでしたが、
会社勤めをするようになって、
父が客を選んで仕事をしたり、定年もなく
好きな仕事ができていたのだとわかって、
すごく尊敬するようになりました。
人生の後半になって、
自分の好きなことをして生きたいと、
強く思うようになりました。
始めるのが遅いと言われるのかもしれませんが、
今まで、会社で働いたこと、見聞きしてきたことなど、
全ての経験が必要だったと実感しています。